ひとりぼっち

愛知教育大学附属岡崎小学校副校長
伊豫田 守

伊豫田 守個別懇談会で、学校での子どもの様子を伝える際、
〇〇君は、休み時間に友達と外で元気よく遊んでいますよ。
と言うと、保護者は安心した表情を浮かべる。ところが、
△△君は、休み時間、教室でひとりで本を読んでいますよ。
と伝えたらどうだろう。おそらく保護者は不安な表情で、
うちの子は友達がいないのでしょうか。学校でいじめられていませんか。
という答えが、返ってくるだろう。「友達」「外で」「元気よく」という言葉は、保護者の安心につながる言葉である。ここには、「子ども=友達と仲よく、外で元気に遊ぶ」という典型的な意識がある。

かつて、小学校で担任をしているとき、昼休みに教室に行くと、数人の子どもたちが教室にいた。

天気がいいから外に行って、みんなと遊びなよ。
と声をかけた。声に反応して、一人の女の子以外は、教室を出て行った。残った彼女は、本を読んでいた。もう一度声をかけようとすると、困ったような表情で、
先生、本を読んでいてはいけないの?先生は、読書はいいことだと言っていたけど。私は、外で遊ぶより本を読みたいんだけど。だめ?
と聞いてきた。それでも、私は、
外で遊ぶ方が楽しいよ。
と言って、彼女を教室から追い出した。

かなり前のことであるが、このことは未だに心に引っかかっている。

平成二十五年一月にテレビ番組『笑っていいとも!』で、タモリさんが、
あの教育がおかしいんですよね。友達がたくさんいないといけないっていう。友達なんかいなくったっていいじゃないですか
と言ったことが、世間で話題になった。
友達がたくさんいることは素晴らしいことだけど、幼いころからすり込まれた
友達がいないと恥ずかしい
という風潮は、もう終わりにしたいということだった。

最近、若者は「ぼっち」という言葉に敏感で、ひとりでいることを忌み嫌うそうだ。周りの人に「友達がいないかわいそうな人」と思われるのが嫌らしい。大学の学食でひとりでご飯を食べていると、「あいつは最低な人間だ」と見られているように思ってしまう。それが嫌で、トイレで食べる者もいるという。見かねた大学が「ぼっち席」を作った。

ひとりでいることは「恥ずかしいこと」という風潮は確かにある。女の子に外で遊ぶことを勧めた私も、この風潮を作ってきた一人である。

休み時間に教室で本を読んでいる子や、お絵かき帳に絵を描いている子に「外でみんなと元気よく遊びましょう」と声をかけた自分の中に「ひとり=悪、みんなと一緒=善」という意識はあった。しかし、よく考えると、この意識は、いじめの意識に似ているようにも感じる。いじめられたくないから、自分を殺して、表面的にみんなとうまくつき合おうとする子どもの姿が浮かんでくる。

漫画家の蛭子能収さんは、著書『ひとりぼっちを笑うな』の中で、自身の子どものころのことを、
できればひとりでいたい、ほっといてほしいと思っている一方で、心のどこかでは、誰かに評価してもらいたいと願っていた。ひとりでいたいとは思っていたが、自分の描いた漫画を回し読みしていた友達が、おもしろいと言ってくれることがうれしかった。今、思うと、自分は、漫画で友達とつながっていたんだと思う
と振り返っている。

教室で本を読んでいる子も、お絵かきをしている子も、決してひとりではない。大好きな本で友達とつながることができるし、大好きな絵でつながることができる。みんなと仲良く遊ぶことを否定はしない。しかし、闇雲に「みんなと仲良く一緒に遊びましょう」と呼びかけて、「ひとり」を否定してもいけない。子ども自身が、自分は人とどうつながっていくのかを見つけることが大切である。その子らしさを認め、自分のつながり方を見つけていくための手助けをしたいと思っている。